2009年10月15日
三線の導師・愛蔵さんが数年ぶりに来沖しました。
私と三線の出会いに欠かせない人の一人、新里愛蔵さんが久しぶりに沖縄に帰ってきました。
「山原船」という店の前を通りかかった時、愛蔵さんの三線の響きに心をぎゅっと掴まれました。
店の外にたたずんでしばらく聞いていたのを思い出します。小さな店ですが、繁盛しているらしく外で立ち飲みする人たちがいるくらいです。入るに入れず、名残り惜しかったのですがその時はそのまま帰りました。
北海道生まれの自分がなぜ三線の音色に魅かれるのかまったく分からず、しかし、また三線の音が聞けるのではないかと山原船の前を幾度となく通り過ぎました。たまたま聞こえていると、これ幸いに店の外で耳を傾けました。
常連らしき人たちでいつも満員なので、なかなか入る勇気がでない。そこで、別の飲み屋で知り合った人に頼み込んで連れて行ってもらいました……、こんなふうに書いているといつまでかかるか分かりません。
これは三線との出会いとして、別の機会に書いていきます。
昨日は愛蔵さんを囲む飲み会が開かれ、参加してきました。
白い髭がなかなかいい感じのおじいちゃんになっていました。
二年前に脳梗塞で倒れて、左半身が不自由になっていますが、元気そうです。
店の三線で歌わせてもらいました。
懐かしい顔と再会し、とても楽しいひと時でした。
また、愛蔵さんに三線でがんばりなさいと励まされ、今の時期に再会できた必然を感じざるを得ませんでした。
ずいぶん更新が滞り、このブログや店のHPに来てくださる皆さんにご心配をお掛けし、申し訳ありません。
少しずつですが立ち直りつつありますので、これからもよろしくお願いいたします。
「山原船」という店の前を通りかかった時、愛蔵さんの三線の響きに心をぎゅっと掴まれました。
店の外にたたずんでしばらく聞いていたのを思い出します。小さな店ですが、繁盛しているらしく外で立ち飲みする人たちがいるくらいです。入るに入れず、名残り惜しかったのですがその時はそのまま帰りました。
北海道生まれの自分がなぜ三線の音色に魅かれるのかまったく分からず、しかし、また三線の音が聞けるのではないかと山原船の前を幾度となく通り過ぎました。たまたま聞こえていると、これ幸いに店の外で耳を傾けました。
常連らしき人たちでいつも満員なので、なかなか入る勇気がでない。そこで、別の飲み屋で知り合った人に頼み込んで連れて行ってもらいました……、こんなふうに書いているといつまでかかるか分かりません。
これは三線との出会いとして、別の機会に書いていきます。
昨日は愛蔵さんを囲む飲み会が開かれ、参加してきました。
白い髭がなかなかいい感じのおじいちゃんになっていました。
二年前に脳梗塞で倒れて、左半身が不自由になっていますが、元気そうです。
店の三線で歌わせてもらいました。
懐かしい顔と再会し、とても楽しいひと時でした。
また、愛蔵さんに三線でがんばりなさいと励まされ、今の時期に再会できた必然を感じざるを得ませんでした。
ずいぶん更新が滞り、このブログや店のHPに来てくださる皆さんにご心配をお掛けし、申し訳ありません。
少しずつですが立ち直りつつありますので、これからもよろしくお願いいたします。
Posted by てるさん at 20:11│Comments(0)
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